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大阪地方裁判所 平成10年(ワ)6066号 判決 2000年6月29日

原告

株式会社エーゼット

右代表者代表取締役

【A】

右訴訟代理人弁護士

露口佳彦

被告

株式会社日本クリンエンジン研究所

右代表者代表取締役

【B】

右訴訟代理人弁護士

敦賀彰一

川上正彦

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金三〇〇万円及びこれに対する平成九年三月三一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  前提事実(争いのない事実及び証拠により容易に認定し得る事実)

1  当事者

(一) 原告は、潤滑油及び潤滑剤の製造及び販売等を業とする株式会社である。

(二) 被告は、各種自動車、船舶、航空機、建設機械等のエンジン及び付属機器の研究開発並びに販売及びこれらに付帯する特許権の貸与及び譲渡等を業とする株式会社である。

2  本件特許権

被告は、次の特許権(以下「本件特許権」といい、その発明を「本件発明」という。)を存続期間満了まで有していた(甲一)。

特許番号 第一二〇七八二七号

発明の名称 携帯用定容積比率混合容器

出願日 昭和五三年一一月三日(特願昭五三ー一三五九四九)

公告日 昭和五八年六月一六日(特公昭五八ー二八五二九)

登録日 昭和五九年五月二九日

特許請求の範囲

1a  容器を通常の姿勢に置いた場合、相互の断面積比率が実質上如何なるレベルにおいても一定であるような、少なくとも2つの室と、

b  前記室内へ各組成成分を注入するために、前記各室の略頂部に各々各室毎に別個に設けられた開口部と、

c  該開口部をそれぞれ密閉しうるように装着された蓋と、

d  前記室相互間を連通せしめるための連通手段とより成る、2以上の組成成分を定量比率にて混合することのできる容器。

2  前記容器内に小容器を収納することにより、前記少なくとも2つの室が形成されている特許請求の範囲第1項記載の容器。

3  前記容器内に仕切壁を設けることにより、前記少なくとも2つの室が形成されている特許請求の範囲第1項記載の容器。

4  前記連通手段が、連通口である特許請求の範囲第2項又は第3項記載の容器。

5  前記連通手段が、連通管である特許請求の範囲第2項又は第3項記載の容器。

3 本件発明(特許請求の範囲第1項)の構成要件を分説すると、次のとおりとなる(以下、分説された構成要件を、その符号に従い「構成要件a」のように表記する。)。

a 容器を通常の姿勢に置いた場合、相互の断面積比率が実質上如何なるレベルにおいても一定であるような、少なくとも二つの室と、

b 前記室内へ各組成成分を注入するために、前記各室の略頂部に各々各室毎に別個に設けられた開口部と、

c 該開口部をそれぞれ密閉しうるように装着された蓋と、

d 前記室相互間を連通せしめるための連通手段とより成る、2以上の組成成分を定量比率にて混合することのできる容器

4  原告は、平成九年五月ころから、別紙図面記載の携帯用混合容器(商品名・ハウスキャット混合計量タンク、以下「原告製品」という。)を製造、販売しているが(原告代表者本人)、その構成を分説すると、次のとおりとなる(以下、分説された構成を、その符号に従い「構成(イ)」のように表記する。)。

(イ) 容器を通常の姿勢に置いた場合、第一室Aと第二室Bとの横断面積比率が第一室Aの目盛一~二・五リットルまでの間は一定であり、目盛二・五~四・五リットルまでの間の両室の横断面積比率は略一定であるが、前記目盛一~二・五リットル以下の部分の比率とは異なり、

(ロ) 前記室A、B内へ各組成成分を注入するために、前記各室A、Bの略頂部に各室毎に別個に設けられた開口部6、7と、

(ハ) 該開口部をそれぞれ密閉しうるように装着された蓋8、9と、

(ニ) 前記室A、B相互間を連通せしめるための連通手段C、C′より成る二つの組成成分を混合することのできる容器。

5(一)  被告は、原告製品の製造販売が本件特許権を侵害しているとして、平成九年九月、特許法違反の罪で、原告を金沢東警察署に告訴した(乙四、以下「本件告訴」という。)。このため、平成一〇年四月一六日、金沢東警察署所属の

【C】 警部補(以下「【C】警部補」という。)が、原告の取引先である名鉄ホームセンター井南店を訪れ、原告製品が特許法に違反する旨告げた上で、同店の帳簿を閲覧してコピーを取り、写真を撮影した(甲六)。また、【C】警部補らは、翌一七日も同店を訪れ、店頭に陳列されていた原告製品五個を持ち帰り、押収品目録交付書を交付した(甲三、原告代表者本人)。

(二)  被告は、本件告訴に先立つ平成九年七月ころ、警察OBスタッフ組織・株式会社ピー・オー・アール調査事務所(以下「ピー・オー・アール」という。)に対し、原告製品の販売実態に関する調査を依頼した(以下「本件調査依頼」という。)。このため、同年秋ころ、ピー・オー・アールの調査員二名が、原告の取引先である株式会社カインズ(以下「カインズ」という。)を訪れ、原告製品が本件特許権を侵害している旨告げた上、右時点までの原告製品の販売数量を提出するよう指示したため、同社は原告製品の販売を中止するに至った。また、右調査員らは、平成九年秋ころ、原告の取引先である株式会社エンチョー(以下「エンチョー」という。)を訪れ、原告製品が本件特許権を侵害している旨告げた上、右時点までの販売数量を提出するよう指示したが、同社はこれを拒否し、代わりに、原告代表者に対し、原告製品に特許法違反等の問題がないことを文書で証明するよう求めた(甲四~六、乙五、原告代表者本人)。

6  原告は、本件告訴及び本件調査依頼は原告に対する不法行為に当たると主張し、被告に対し、民法七〇九条に基づき、損害賠償金三〇〇万円及びこれに対する平成九年三月三一日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金を請求した。

二  争点

1  本件告訴及び本件調査依頼は、原告に対する不法行為に該当するか。

(一) 原告製品は、本件発明の技術的範囲に属しないものか。

(二) 仮に、原告製品が本件発明の技術的範囲に属しない場合、被告が、原告製品が本件特許権を侵害していると誤信して、本件告訴及び本件調査依頼を行ったことに過失があるか。

2  損害額

第三争点に関する当事者の主張

一  争点1(本件告訴及び本件調査依頼は、原告に対する不法行為に該当するか)について

【原告の主張】

1 原告製品は、①大小二つの液体収容体A、Bを備え、各々の収容体に異なる液体を入れて両液を混合して混合液を作る容器であること、②両収容体A、Bを上部で連通させていること、③両収容体A、Bに各々開口部6、7を形成していること、④開口部6、7に密閉用の蓋8、9を取り付けていることが、本件発明の構成要件bないしdと共通している。しかし、原告製品は、大小両容器A、Bの底部から上部までの断面積比率が一定でないから、本件構成要件1aのうち「相互の断面積比率が実質上いかなるレベルにおいても一定であるような二つの室」という要件を充足せず、本件発明の技術的範囲に属しないことは明らかである。

このように、原告製品と本件発明の構成要件を比較すれば、原告製品が本件特許権を侵害していないことは一見して明白であるにもかかわらず、被告は、原告製品の製造販売が本件特許権の侵害になると誤信し、特許法違反の罪で原告を刑事告訴したものである。

2 特許権侵害を主張する場合は、まず内容証明文書により、特許権の存在及び相手方の製品がどの点で自己の特許権を侵害しているかを明示した上で警告し、相手方が右警告に応じない時に、はじめて民事訴訟上の使用差止めの仮処分申請を行うのが通常であり、その場合も、できるだけ相手方に損害を生じないよう注意を払うものである。特許法違反事件は故意犯であり、前記警告手続をとって初めて、特許権者は、相手方が故意で特許権を侵害していることを主張し得るのであるから、特許法違反を理由に刑事告訴を行う者には、告訴に先立ち、前記警告手続を行うべき注意義務がある。

本件において、被告は、原告に対し、何らの警告手続をとることもなく、特許法違反を理由に刑事告訴をしたのであるから、この点につき前記注意義務違反があるというべきである。しかも、本件告訴を受けた金沢東警察署は、特許権侵害の有無を判断する能力を有しないにもかかわらず、被告が提出した弁理士の鑑定書(右鑑定書は矛盾に満ちたもので、結論の誤りは明らかである。)を盲目的に信用し、被告訴人である原告の弁明も聞かず、また、検察庁や裁判所の判断を仰ぐこともなく、令状なしに原告の取引先から原告製品を引き上げるという事実上の強制捜査を行ったのであるから、被告の本件告訴における過失と、金沢東警察署員による原告製品の引上げの間には因果関係がある。

また、被告は、ピー・オー・アールが、調査員に「警察OBスタッフ組織」の肩書が付され、警察と関係があるかの如き印象を与える名刺を持たせて業務に従事させていることを知りながら、あえて同事務所に調査を依頼したものであり、被告の依頼がなければ、右調査事務所が、調査員をして、原告の取引先を威迫して原告製品の販売を中止させるという義務なきことを行わせることはあり得ないから、被告の本件調査依頼における過失と、ピー・オー・アール従業員らの行為の間にも因果関係がある。

【被告の主張】

1 原告は、特許権侵害を主張するに当たり、特許権者には、まず、その旨を相手方に警告したり、仮処分申請を行うべき注意義務があると主張するが、被害者たる被告において、かような手順を履践すべき法的義務はなく、特許権侵害について刑事罰規定が存在する以上、最初から告訴手続をとったとしても違法とはいえない。被告が本件告訴に踏み切ったのは、原告の行為が特に悪質で刑事処分が相当と判断したからであり、その際、被告は、特許事務につき有資格者である弁理士作成の鑑定書を参照したり、調査事務所に依頼して原告製品の販売実態を調査し、その調査報告書を検討するなど、極めて慎重な手順を踏んだ上で告訴に踏み切っているのであるから、本件告訴の手続に過失はない。

2 仮に、警察官が令状なしに強制処分を行ったとしても、その責任主体は当該警察官及びその属する自治体にあり、被告にはない。本件において、金沢東警察署の警察官に専門的な判断力が存在しなかったことの証拠はないし、特許権侵害の有無についての捜査上の判断は、弁理士という国家資格者によって作成された鑑定書が補っているのであるから、警察官の捜査活動に違法はない。なお、本件における原告製品の引上げは、領置手続(刑訴法二二一条)によるものであり、原告の取引先が自由な判断に基づき、警察官の任意提出の要求に応じたものであるから、警察官が令状なしに事実上の強制処分を行ったとはいえない。

また、調査事務所の関係者も、被告とは異なる責任主体であるから、右調査事務所の活動をもって、被告の過失を構成することはできない。ピー・オー・アールの調査員が使用している名刺には「警察」ではなく「警察OB・・」と肩書が明記されていることに加え、同調査員らが調査に当たり、警察手帳等を呈示することはないことによれば、同調査員らが現職の警察官でないことは一見して明らかであり、名刺を見る者がこれを現職の警察官であると誤信することはあり得ない。

二  争点2(損害額)について

【原告の主張】

被告の本件告訴及び本件調査依頼により、原告は、原告製品の取引先を失い、営業上の信用を毀損された。これにより原告の受けた損害は三〇〇万円である。

【被告の主張】

原告の主張は争う。

第四当裁判所の判断

一  本件告訴及び本件調査依頼の経緯

証拠(乙一、二、三の1~11、四、五、七の1、2、八、九、原・被告各代表者本人)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

1  被告は、本件発明の特許出願後、本件発明を商品化した混合計量容器を「ポリミックス」の名称で販売していたところ、平成九年七月初旬、被告が本件特許の実施権を与えている大沢ワックス株式会社から、「『ポリミックス』の模造品と思われる『ハウスキャット混合計量タンク』なる商品が市中に多数出回っており、販売価格も低いため営業競争にならない。このまま放置すると、被告の商品は全く売れなくなるので、急遽対策をとってほしい。」との連絡を受けた。そこで、被告において、原告製品とポリミックスを対比したところ、同じ携帯混合容器で形状こそ多少異なるものの、その使用目的、使用方法、使用効果は全く同一であり、発明の構成要件は全く同一であるという結論に達した。

2  被告は、平成元年ころ、小林物産株式会社(以下「小林物産」という。)がポリミックスと類似するポリ混合容器を製造販売した件で、同社を特許権侵害の罪で刑事告訴するとともに、金沢地方裁判所に損害賠償等請求訴訟を提起したことがあり、この時は、小林物産及び同社社長並びに営業所長が罰金刑に処せられ、民事訴訟において、被告が勝訴判決を得た。被告代表者で、本件発明の発明者でもある【D】(以下「【D】」という。)は、原告製品は、基本的に本件発明と同一の構成を有するが、目盛や取っ手を設けたり、第一室の中央部を陥没させている点からみて、本件特許権の存在を知りながら故意に一部を変形させた不良製品であり、小林物産の行為と比較しても悪質な特許権侵害であるから、このような悪質な侵害者に対しては、警告書等を送付することなく刑事告訴を行うのが相当であると考えた。

3  被告は、小林物産を刑事告訴する際に鑑定を依頼した【E】弁理士(以下「【E】弁理士」という。)に対し、原告製品が本件発明の技術的範囲に属するか否かの鑑定を求めたところ、【E】弁理士からは、平成九年八月一二日付けで、原告製品は本件発明の技術的範囲に属するとの鑑定見解書が提出された。右鑑定見解書の内容は、①本件発明に係る混合容器と原告製品は同一の目的を意図したもので、作用効果においても全く同一である、②両者の構成要件は、構成要件aー(イ) 、dー(ニ)において若干の相違があるが、この相違点は原告製品が二つの液体を混合するものであるのに対し、本件発明は三つ以上の液体の混合が可能な容器についても技術的範囲を有する点で相違するだけである、③原告製品は、混合液二・一リットルまでは本件発明の構成要件をことごとく包含するが、混合液二・一リットル~四・五リットルでは構成要件aを具備しないものであり、本件発明の利用部分と不完全利用部分を備えており、一部利用関係があるから、原告製品は本件発明の技術的部分に属するものというべきである、というものであった。

4  また、被告は、小林物産の時にも事実調査を依頼したピー・オー・アールに対し、原告製品の流通経路及び販売個数等について事実調査を依頼したところ、平成九年八月六日から二六日にかけて、同社から、原告製品が、被告の主要市場である関東及び中京方面を中心に多数販売されていること、原告製品の販売経路はエンチョー、カインズ、名鉄ホームセンター、アントの系列店舗であること、原告製品は、末端小売店であるホームセンターなどでは、ポリミックスと並べて陳列販売されていること等を記載した調査報告書一〇通が提出された。そこで、被告は、同年九月、前記調査報告書及び鑑定見解書を添付して、金沢東警察署に告訴状を提出した。なお、【D】は、本件告訴に先立ち、原告の所在地及び代表者の氏名を確認する目的で、原告代表者に直接電話を掛けたが、その際、原告製品が本件特許権を侵害している旨の警告は行わなかった。

5  原告は、平成九年八月、ピー・オー・アール調査員の訪問を受けたエンチョーから、原告製品が本件特許権を侵害しないことを証明する旨の文書を出すよう要求されたことから、弁理士に先行技術の調査を依頼し、本件特許権の存在を知ったが、右弁理士から、原告製品は本件発明の「いかなるレベルにおいても断面積比率を一定にする」という構成と異なっており、本件特許権には抵触しない旨の回答を得たので、その後も、原告製品の販売を継続した。

6  被告は、本件告訴の後、特許庁に対し、原告製品が本件特許の技術的範囲に属することの判定を請求したが、右判定においては、原告製品は本件特許の技術的範囲に属しないとの結論が出された。

二  争点1(本件告訴及び本件調査依頼は、原告に対する不法行為に該当するか)について

1  同(一)(原告製品は、本件発明の技術的範囲に属しないものか)について原告製品の構成を本件発明の構成要件と対比すると、構成(ロ)と構成要件b、構成(ハ)と構成要件cはそれぞれ一致する。しかし、原告製品は、容器を通常の姿勢に置いた場合、第一室Aの目盛が一ないし二・五リットルの範囲では、第一室Aと第二室Bの相互の横断面積比率が一定に保たれているが、第一室Aが目盛二・五ないし四・五リットルの範囲で内側に凹型に陥没する形状を呈して段部を形成していることから、第一室Aの目盛が二・五リットルを越えると、第一室Aの第二室Bに対する横断面積比率は、第一室Aの目盛一ないし二・五リットルの範囲における第一室Aの第二室Bに対する横断面積比率より小さくなるため、構成(イ)は、構成要件aのうち「容器を通常の姿勢に置いた場合、相互の断面積比率が実質上如何なるレベルにおいても一定である」という部分を満たしておらず、その結果、構成(ニ)も、構成要件dのうち「定量比率」という部分を満たさないこととなる。

さらに、容器に設けた少なくとも二つの室が「容器を通常の姿勢に置いた場合、相互の断面積比率が実質上如何なるレベルにおいても一定である」という構成は、明細書の記載に照らして、本件発明特有の課題解決手段を基礎付ける特徴的部分であることが明らかであり(甲一)、しかも右文言は、出願当初の明細書の特許請求の範囲には記載されていなかったが、その後の手続補正書により記入された部分であり、昭和五七年一〇月二九日付けで特許庁審査官から出願前の公知技術を引用して進歩性がないとして拒絶理由を受けたのに対して、被告は、引例には「各室間の水平レベルにおける断面積比率を一定とする、本願に係る基本的技術思想の開示は全くなく」と意見書で主張し、さらに、手続補正書により、発明の詳細な説明の欄のうち、本件発明特有の解決手段を示す部分を、「この目的を達成するための本発明の構成は、容器を通常の姿勢に置いた場合、相互の断面積比率が実質上如何なるレベルにおいても一定であるような二つの室と・・(中略)・・前記室相互間を連通せしめるための連通手段とより成っている」と訂正したことが認められ(甲九~一五)、右出願の経緯に鑑みても、本件発明の構成要件aの「容器を通常の姿勢に置いた場合、相互の断面積比率が実質上如何なるレベルにおいても一定である」という部分は、本件発明の本質的部分であるといわざるを得ない。したがって、本件発明の本質的部分を具備しない原告製品は、文言侵害はもちろん、均等として本件発明の技術的範囲に属すると解される余地もないというべきである。

2  同(二)(被告が、原告製品が本件特許権を侵害していると誤信して、本件告訴及び本件調査依頼を行ったことに過失があるか)について

(一) 平成一〇年法律第五一条による改正前の特許法一九六条一項、二項によれば、行為者が故意をもって特許権を侵害した場合には、特許権者の告訴により、特許権侵害罪により公訴を提起して刑事罰を科することができたところ、告訴権は、犯罪の被害者その他刑事訴訟法に規定する告訴権者から、捜査機関に対し犯罪事実を具体的に申告し、犯人の処罰を求める意思表示であり、国家が刑罰権を独占していることの反映として、被害者等の私人に認められる刑事法上の権利であるから、告訴権の行使は、原則として、権利の行使として適法であり、不法行為を構成するものではないと解される。

しかしながら、刑法上、虚偽告訴罪(同法一七二条)が規定され、被告訴人が犯罪を犯していないことを知りながら告訴をした者は、刑事罰の対象となることに加え、いったん刑事告訴が行われた時には、これを捜査の端緒として、被告訴人が捜査機関による捜査対象とされることから、もし被告訴人が実は犯罪を犯していなかった場合、被告訴人は、結果的に、いわれなく捜査対象とされたことにより、精神的苦痛、信用毀損等の損害を被ることを考慮すれば、刑事告訴の場合であっても、告訴時において、告訴人が告訴の理由がないこと、すなわち、被告訴人の行為が犯罪に当たらないことを知りながら、専ら被告訴人に刑事処分を受けさせる目的で告訴をした場合はもとより、告訴人がわずかな調査をすれば、告訴の理由がないことを容易に知り得たにもかかわらず、専ら、被告訴人に損害を与える目的で刑事告訴を行った場合には、例外的に、民事上の不法行為を構成する可能性があると解するのが相当である。

この点について、原告は、特許法違反の罪は故意犯であるから、特許法違反を理由に刑事告訴を行う者には、告訴に先立ち警告書による警告手続を行うべき注意義務があると主張する。しかしながら、被告訴人が告訴に先立ち、特許権者から警告を受けたという事実は、被告訴人の警告書受領後の行為については、特段の理由がなければ、故意が阻却されないことを意味するにとどまるものと解せられ、特許権侵害の罪における故意について、警告書が唯一の立証手段とはいえないのであるから、特許権者が、特許権侵害の罪で刑事告訴を行うに先立ち、侵害者と疑われる者に対して、警告書を送付しなければならない注意義務があるとは認め難い。

(二) 本件において、被告が、原告を特許権侵害の罪で告訴するに先立ち、原告に警告書を送付しなかったのは、前記一で詳述したとおり、本件発明の発明者である【D】が、原告製品が本件特許権の実施品と全体的な構成を同一にしながら、一部異なる部分を設けていることに着目し、これを根拠に、原告製品を特許権の存在を知りながら侵害を回避する目的で構成を変更した改悪実施品と考え、小林物産の場合と比較しても悪質な侵害品であると確信するに至ったからであり、右によれば、被告が、原告製品が本件特許権の侵害に当たらないことを知りながら、専ら原告に刑事処分を受けさせる目的で本件告訴を行ったということはできない。

加えて、被告が、本件告訴に先立ち、【E】弁理士に鑑定を依頼し、原告製品が本件特許権を侵害している旨の鑑定見解書を得ることにより告訴の理由の裏付けを得た上、調査事務所であるピー・オー・アールに依頼して、原告製品の販売実態を調査し、その調査報告書を検討するなどして、相当の期間及び費用をかけて調査を行った上で、本件告訴に及んでいることを考慮すれば、本件において、被告がわずかな調査をすれば、告訴の理由がないことを容易に知り得た場合にもかかわらず、専ら原告に損害を与える目的で刑事告訴を行ったとは推認することができず、ほかに右事実を認めるに足る証拠もない。この点につき、原告は、【E】弁理士の鑑定見解書は矛盾に満ちたもので、結論の誤りは明らかであるとして、かかる鑑定見解書を参照したこと自体に被告の過失があるかのごとく主張するが、特許発明の技術的範囲への属否の判断については複数の見解があるのが通例であり、ことに、本件のように、構成要件の一部を欠くものの技術的範囲への属否については、学説上の論議も存在することに鑑みれば、仮に告訴人が参照した鑑定見解書の見解が、特許庁若しくは裁判所が採用している見解とは異なるものであったとしても、告訴人がこれを前提として告訴をしたこと自体に過失があるとはいえない。

以上によれば、本件告訴の手続きには違法はないというべきである。

(三) 原告は、金沢東警察署の警察官による原告商品の引上げ行為及び原告が調査を依頼した調査事務所ピー・オー・アールの調査員の調査時の言動についても、被告の本件告訴及び本件調査依頼における過失と因果関係がある旨主張するが、警察官の行為に対する責任は、当該警察官が属する警察署を管轄する地方自治体にあり、調査事務所調査員の行為に対する責任は、調査員の雇用者である当該調査事務所にあって、いずれも被告とは異なるものであるから、右警察官及び調査員の活動をもって、被告の過失を構成することはないというべきである。

三  以上の次第で、原告の請求には理由がないから、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小松一雄 裁判官 阿多麻子 裁判官 前田郁勝)

<以下省略>

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